ぴーすけのおはよう日記

漢は女がいてなんぼの生き物

今の僕っていう男はどうしようもない?

この国の男性諸君、いや、日本国民全ての方に

お待たせして申し訳ない。


お久しぶりです、ぴーすけです。


著者は今、人々を待たせていたという

耐えきれない罪に噛み締めながら

このブログを再稼働させようとしている。

きっと明日には、おかえりの声が著者を包むだろう。


4年の時経てまたこのブログにぴーすけが降臨。


「祝福」と称してどうかこの事実、

Twitterのトレンド入りを願うばかり。


実に4年振り、記念すべき2記事目の更新となる。


アクセス分析によると、空白の4年間


本ブログのPV数は

一定の数字を保ち続けている事実がわかった。




「0」の連続であるという事実を。



ところで、日本の男性諸君。

「0」ってこの世のテニスでは

なんと称されているかは知っているかい?



その答えは、「ラブ」さ。


著者が今日、伝えたいことは「LOVE」についてだ。


目の前にいる諸君に著者の自論ではあるが、

「LOVE」について投げかけたいと思う。


ところで、みんなは誰かを

好きになった経験をしたことあるのか?


著者にも経験がある。

あれは、小学3年生のまだ小さな手が悴むほど

寒い季節だった。


バレンタインという幼い著者には

どうでもいいと感じていたイベントだったが

同じクラスの女性からチョコレートを渡された。


クラスの男子に揶揄われないか心配になりながら

まだ恋も知らない著者は、小学校の帰路の途中、 

ランドセルから例の物を取り出し中身を開けると

そこには1通の手紙が入っていた。




手紙を開けるとそこには

著者には見慣れない言葉が綴られていたのだ。



今でも明確に覚えている。

著者の胸が高鳴りを感じたことを。


それから著者は約5年間、彼女を一途に愛し続けた。

一途という言葉は、今でも著者の代名詞である。

それは自他ともに認めざ得ないのだ。


もっと著者の一途について知りたいだろうが

これ以上話しを逸らすことはできない。


「LOVE」についての話題を戻らせていただく。


著者が中学生になりたての年。

桜も散り、梅雨でジメジメとするこの島国で

彼女からの告白をきっかけにカップルへとなった。


しかし、そんな甘い時間は秒針を止めることとなる。



きっかけは、著者のファンクラブ会員による

嫉妬心から生まれた行動が

2人の「LOVE」を引き裂いたことだった。


会員No.04の仕業で、著者は彼女と別れる羽目に。

それは、誠に遺憾であった事実に違いはない。

だが、それ以上に亀梨和也に酷似している自分が

悪いのだと自意識過剰な著者は

容易に納得することができた。


始まりのきっかけもあれば

終わりのきっかけもある。


この先のどんなことが起きるかは、

誰にもわからない。


ぴーすけがこのブログに戻ってくることなんて

誰に予想できたことか。


その「きっかけ」だっていつどんなことでかも

誰にもわからないことなのだ。


著者は、次のことについて

真剣に答えを導き出そうとしている。


しかし、答えがないのが答えである。


そう、それは「やり捨て」「ヤリモク」「チャラい」

日本の男性は心無い言葉に心を痛めているのだ。


著者は、異議を唱えたい。

日本代表男子代表として。



誰だって最初は、恋人が好きだから

交わりたいと思っているはずである。


大好きな異性とコトを致したいというのは、

この地球のどこにいたって何をしていたって

世界共通認識として地球は回り続けている。


夏の暑い日も、冬の寒い日も

北極だって、南極だって


愛という名のメリーゴーランドは止められないのさ。


しかし、どれだけ大好きな人だって

いつかは冷めてしまうかもしれない世の中。


事実=真実ではないことくらい

生きていればわかることだろう。


好きな人への気持ちが冷めてしまうのが

たまたまコトを致した直後なだけなのだ。


きっかけなんてない。


たまたま


そこに


気持ちがなくなってしまっただけなのだ。


果たしてそれが

「ヤリモク」「やり捨て」「チャラい」として

扱われていいのだろうか?


男性諸君いいか?


決して心を痛めてはいけない。


何故ならその間にも日本の少子高齢化

刻一刻と進んでいるのだ。

君たちの使命は日に日に増していっている。



そんなこと言っても

出会いが無い…

出会いがあってもお金がない、

イケメンではないから無理だ…。


ぴーすけがいる限り

男の欲望や希望を捨てないで欲しい。


著者がブログから消えた後のこの世界で

たくさんの人々が、

YouTubeやブログでマッチングアプリ」について

ボヤボヤ呟いていただろう。


今日は以下のことを、覚えて帰って欲しい。


マッチングアプリ」は

己という商品をマーケティングする場所であること。



つまり、己を知ることが大切な一歩であるのだ。


次回は「マッチングアプリマーケティング」について

男性諸君に伝えて行きたいと思う。


マッチングアプリマーケティング」的に

女性を待たせ過ぎるのは良くない。


また今日もマッチングアプリマーケティング」を 

極めるために、著者は持ち場に戻るとしよう。


アディオス